ヴァイオリンカフェ

ヴァイオリンという楽器について、主にその誕生について調べています。

アマティ家 〜クレモナ派の創始者一族の200年〜

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"Cremona - Piazza Roma" by Simone Ramella is licensed under CC BY

 

写真右奥に見える建物のある一角は、様々な職人達の集まる職人街でした。アマティ家ほか楽器製作者たちの工房もここにあったのです。

ヴァイオリンを完成された形に作り上げたアンドレア・アマティ。クレモナのヴァイオリン製作の街としての歴史がここから始まります。

 

 

 初代アンドレア・アマティ   クレモナ派の始まり

   アンドレアは(推定)1505年生まれ。1539年にサン・ファウスティーノ地区に工房を開きます。出生の記録は無いものの、この物件を借りた記録は残っています。時、この地区には木工職人や金細工職人など優れた職人たちの工房が集中していました。アンドレアは独立前、ヴェネツィアから来た弦楽器製作工房を持つ金融業者マルティネンゴの徒弟だったと考えられています。

 

   現存するアンドレアの楽器には、複数のフランス宮廷(シャルル9世)のために作られた装飾楽器があります。大小2種類の大きさのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが現存します。この装飾は絵の具や金泥を使ったテンペラでフランス王の紋章やモットーなどが描かれています。テンペラ画の装飾はアマティ工房ではなく外部の仕事といわれています。

   これらのヴァイオリン属の楽器はアンドレアとしては晩年の作品ということになりますが、若い時代の作品はヴァイオリンに限らず見つかっていません。

 

   アンドレアについで息子たちも工房で働くようになります。1556年時点でアントニオは弦楽器製作者として兵役対象者の名簿に名前が載っています。

 

 

2代目アントニオとジロラモ   兄弟の関係はどうだったのだろうか

   1577年末にアンドレアが亡くなり、ふたりの息子アントニオとジロラモが相続人になって仕事を受け継ぎました。

   アントニオは(推定)1540年生まれ、ジロラモは(推定)1560年生まれ。父アンドレアと同様に、兄弟共に出生の記録が見つかっていないので、他の記録からの推定になるのですが決定的なものは無いようです。

   この推定が正しいなら、ふたりは共に修行をした仲間というより、師弟に近かったと思われます。ただ、ふたりの年齢はもっと近かったという説もあります。どうであれ兄弟は兄弟、一緒に仕事をし、製作した楽器にはふたりの名前の入った「Antonius & Hieronymus Fr. Amati」というラベルをつけていました。ラベルはイタリア語ではなくラテン語で、ヒエロニムスというのはジロラモのことです。

   しかし1588年に、ジロラモがアントニオの権利を買い取り、アントニオは工房を去ってしまいます。結局アマティ工房はジロラモが継承したことになるのですが、兄弟の名前のラベルはずっと使われていきました。ジロラモに思うところがあったのか、「アマティ兄弟」がひとつのブランドになっていたからなのか、想像を巡らせることしかできません。

 

 

3代目ニコロは製作の頂点を極め、初めて一族外の徒弟をとる 

   アマティ家3代目にして最大の製作者といわれるニコロは、1596年クレモナで生まれました。ジロラモの息子です。ニコロが生まれた時、祖父アンドレアはすでに故人となっており、伯父のアントニオも工房を去っていました。おそらく早い時期からニコロも父の元で楽器製作の修行に励んだことでしょう。

   ニコロは才能を開花させ父の右腕となりますが、1630年に両親と妹を亡くしてしまいます。この頃は戦争や疫病の流行、飢饉などヨーロッパでは厳しい状況が続いていました。

   伯父アントニオも、後継ぎかと思われた兄も、もっと前に亡くなっていたので、ニコロがひとりで工房を続けることになります。そして家業であり門外不出であったヴァイオリン製作を、徒弟をとって一族以外の者に伝える決断をくだします。

   記録のある徒弟はふたり、ジャコモ・ジェンナーロと、グァルネリ一族の祖アンドレア・グァルネリです。アンドレア・グァルネリは1645年にニコロが結婚した時に、その証人にもなっています。

   ストラディヴァリやルジェリなど、他にも弟子だった可能性のある製作者はいますが、はっきりとしたことがわかっているのは先にあげたふたりだけです。

   ニコロの決断が当時のアマティ家にとって喜ばしいものだったかどうかは分かりませんが、これがなければ今日のヴァイオリンどころか音楽事情も、もっと違ったものになっていたでしょう。

   ながくクレモナの弦楽器製作業界に強い影響を与え続けたニコロは、1684年に亡くなります。

 

 

4代目の憂鬱 ジロラモ2世 

   アマティ家4代目は、祖父の名前を継いだジロラモ2世です。ジロラモは1649年生まれ。彼が工房を継いだ時、ヴァイオリン製作はもうアマティ家だけのものではありませんでした。

   アンドレア・グァルネリやストラディヴァリは独立して仕事をしていました。またクレモナから他の都市に移っていった製作者たちもいました。こうしてヴァイオリン製作は広まっていったわけですが、アマティ家の方はニコロによってピークに達したのち徐々に衰退していきます。

   4代目のジロラモ2世は腕の良い職人ではありましたが、ひとり息子と妻を相次いで亡くし、ライバルの多い中なんとか盛り返そうとした工房経営にも行き詰まり、クレモナを離れることになってしまいます。細々と楽器を作り続けていたジロラモが、ようやくクレモナに戻ったのは20年近く後のことでした。その後に製作された楽器もわずかながら残っています。

   ジロラモは再婚せず、跡取りもないまま 1740年に 90年の生涯を閉じました。

   こうして200年続いたヴァイオリン製作の名家、アマティ家の歴史が終わりました   

 

 

いかがでしたか。次回はフランス王家とアマティ家の関わりについて考えてみたいと思います。