ヴァイオリンカフェ

ヴァイオリンという楽器について、主にその誕生について調べています。

フランス王室とヴァイオリン

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"Altar of the chapel of Versailles, the very spot where Marie Antoinette married Louis XVI" byJorge Lascar is licensed under CC BY 2.0  

ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂

 

アンドレア・アマティがサン・ファウスティーノに工房を開き、息子のアントニオも一人前の職人になっていた1560年代。フランス王シャルル9世のために楽器がつくられました。大小2つのサイズのヴァイオリン24挺、ヴィオラ6挺、チェロ8挺、全部で38挺あったと言われています。弦楽アンサンブルもできるほどの楽器です。新しいヴァイオリンという楽器はどのように使われたのでしょう。当時のフランス王室の音楽環境に注目してみました

 

 

王室礼拝堂楽団シャペル

   フランス王室の最も古い楽団は、シャペルと呼ばれる王室礼拝堂附属の聖歌隊です。 14世紀にはすでに存在していた聖職者中心の男声のみ、伴奏楽器有りの声楽アンサンブルです。礼拝や宗教儀礼での演奏を担当しました。また、礼拝堂所属ですから、演奏以外に礼拝に関わる職務も持っていました。

 

   後のルイ14世の時代には、聖職者でない音楽家の受け入れや、演奏とそれ以外の職務の役割分化、オーケストラ(ヴァイオリン、ヴィオラ、バス、フルート、ファゴット、クルムホルンを含む)の導入などがあり、シャペルは王室礼拝堂の聖歌隊から宮廷楽長が率いる宮廷楽団へと組織としての性格を変えてゆきました。

 

室内楽団シャンブルと野外音楽隊エキュリ

   礼拝堂から宮廷へ、声楽から器楽の方に目を向けましょう。

16世紀前半、音の小さい楽器を中心に編まれたシャンブルという室内楽団と、音の大きい楽器を中心に編まれたエキュリという野外音楽隊がつくられました。

 

   シャンブルは宮廷内で演奏される世俗音楽全般を担当しました。基本的な編成は歌手と、クラヴサン、リュート、テオルボ、ヴィオールでしたが、時には合唱団やフルート、ヴァイオリンなど他の楽器奏者が加わることもありました。

 

   エキュリは野外でのパレードや祝祭、外交行事、戦時のファンファーレなどを担当しました。主にトランペット、オーボエ、ホルン、トロンボーン、太鼓などの管・打楽器奏者で組織されました。

封建社会から絶対王政へと変わっていった時代です、エキュリは、王権の示威や強化のために行われる大規模な入城式や祝宴で活躍しました。このような行事は祝祭本という図版付きの出版物に記録報道されることも多くありました。

 

「王の24のヴァイオリン」と「プティット・ヴィオロン」

   王室にはまた、シャンブル所属ではあったものの、独自の活動をしていた「王の24のヴァイオリン」と「キャビネ」という組織がありました。

   前者はその名前の通りヴァイオリン属の楽器による宮廷楽団(大楽団)、後者は王個人に雇われた音楽家たちで、音楽教師、王の私的な楽しみのためのフランス人演奏家、理由があって非正規雇用になった外国人(多くはイタリア人)音楽家、そして「プティット・ヴィオロン」と呼ばれる弦楽アンサンブル(小楽団)でした。

 

   これらの楽団が出来たのはシャルル9世の時代より少し後になりますが、アマティ家のヴァイオリンが楽団をつくっていたはずです。その存在を知られ始めた頃、乞食の持ち物とまで蔑まれたヴァイオリンが、宮廷楽団の一員になったのです。

 

   「王の24のヴァイオリン」は有名になり、ヨーロッパの宮廷で模倣されるようになりました。

 

   アンドレアはシャルル9世のための楽器を作りましたが、アントニオとジロラモ兄弟作のアンリ4世の紋章が描かれたヴァイオリンや、ニコロ作の象嵌細工が美しいルイ14世と呼ばれているヴァイオリンも残っています。

   興味のある方は是非アメリカの国立音楽博物館(The National Music Museum)のサイトを開いてみてください。たくさんのコレクションとその画像を見ることができます。例えばシャルル9世のために作られた有名なキングと呼ばれる装飾チェロの画像は39枚もあります。

 

   ヴェルサイユ宮殿に保管されていた王室の楽器は、フランス革命の時に破壊されたとも失われたとも言われています。現存する楽器はどんな経緯で難を逃れたのでしょう。どこかに人知れず保管されたままの楽器があるのでは?と私は夢想しているのですが。