ヴァイオリンカフェ

ヴァイオリンという楽器について、主にその誕生について調べています。

誰が最初にヴァイオリンをつくったのか?

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最初にヴァイオリンを作ったのは誰?

どうやってヴァイオリンは誕生したの?

    答えを見つけようと、私は「何か判りそう」「関係ありそう」と思う本や資料を集めてきました。

    今日からは改めてそれを見なおして、解っていることを確認し、不明なことや疑問に思うことを整理していこうと思います。この作業をきっかけにヴァイオリン好きな方々と情報交換、意見交換ができたら嬉しいです。

 

   

現存する最古のヴァイオリン

    さて、いまわかっている限りでは、

現在、私たちがヴァイオリンと呼んでいる楽器を、私たちが知っている形にまとめ上げたのは、16世紀イタリアのアンドレア・アマティです。と言っても、彼が全くゼロからヴァイオリンを発明したというのではありません、ながく先人たちに試行錯誤されながら発展してきた弓奏楽器の一つの完成形を作ったのです。

現存する最古のヴァイオリンはこのアンドレア・アマティのものです。

    「ヴァイオリン誕生」について考えるにあたり、ここを出発点にしたいと思います。

 

    アンドレア・アマティはまた、ヴァイオリン製作におけるクレモナ派の創始者でもあります。

    1539年にマエストロとして借りた店舗や中庭などのついた家屋とその付近一帯は、その後クレモナのヴァイオリン製作の中心となります。

    ヴァイオリンづくりは息子、孫、曽孫へと受け継がれるのですが、アンドレアの孫でアマティ一族最大の製作者ニコロが、それまで家業だったヴァイオリン製作に家族外の弟子をとるようになります。「デル・ジェス」で有名なグァルネリ一族の祖アンドレア・グァルネリはニコロの徒弟でした。またストラディヴァリも弟子の一人だったのではないかと考えられています。こうしてクレモナはヴァイオリン製作の街になってゆきました。

 

アンドレアはガスパロ・ダ・サロの弟子だったのか

    ところで、ブレシアは? ガスパロ・ダ・サロは? 

という声が聞こえてきそうです。楽器としてのヴァイオリンに関心を持っている方なら、どこかでアンドレア・アマティはガスパロ・ダ・サロの弟子という記述を目にしているのではないでしょうか。

    残念ながら、この記述は誤りです。ガスパロの生年が判ってこの説は覆されました。

    アンドレアが前述の家屋を借りた一年後の1540年にガスパロは生まれました。ガスパロが生まれた時、すでにマエストロとして仕事をしていたアンドレアがガスパロの弟子と考えるのには無理があると思われます。

 

すでに楽器製作が盛んだったブレシア

    では、なぜ、このように考えられてきたのでしょうか。

    アンドレアとガスパロ、ふたりの生年さえはっきりわからなかった時点では、現存する両者の楽器を比較することがほとんど全てだったのでしょう。

    ガスパロの楽器のラベルに製作年は書かれていません。ヴァイオリン本体を見ることになります。ガスパロの楽器には素朴な印象があります。アンドレアの楽器には洗練された美しさがあります。スクロールを見ると単にスタイルの違いなどと片づけられないと感じられます。このような違いからは、ガスパロの楽器の方が先に作られたと考える方が自然とも言えそうです。

    それでも、あくまで見る側の印象や価値観による判断だと言われれば、その通りですが、当時のクレモナとブレシアの状況を考えると、アンドレア弟子説にも説得力がでてきます。ブレシアは当時、弦楽器製作、鍵盤楽器製作の中心地でした。これに対して、クレモナにはアンドレアの工房以前に弦楽器製作の工房はなかったのです、公式には。

    どうでしょう? アンドレアがガスパロの弟子だった、と言われれば納得してしまいませんか? 

   とはいえ、この仮説は違っていたわけですが、コトはそれほど簡単でも無いようなのです。が、この件ついてはいったん置いておくことにしましょう。

 

 

    クレモナで最初の弦楽器工房がアンドレアの工房だったというなら、

では、アンドレアはどこで弦楽器製作を習得したのか、という話になります。

アンドレア以前に、アマティ家で楽器製作をしていた人はいないようで、家業を継いだということでも無いようです。

    次回は、ここから話を進めることにします。